夢の続き

2010.01.13
僕は大学を卒業してワタミに就職しました。
青年社長と言う本を呼んで渡邊美樹社長に憧れたからです。

しかし就職して調度1年経ったころ、母が末期がんと判明。
余命3ヶ月と宣告されました。

同時に母のお見舞いの帰り父が事故に巻き込まれ、
全治半年の大怪我をしました。
同時に2人が同じ病院に入院してしまいました。

母の一時退院も近づいたため、
母の側にいる事を選んだ僕は、会社には申し訳なかったのですが、
突然辞めてしまいました。



それから半年後に母が亡くなりました。
食道ガンだっため、物が食べれなくなってしまいました。
当たり前に食べれる事の幸せを感じ、
多くの人が幸せを感じるレストランを30歳で開こうと決めました。

その当時僕はワタミに戻るか、専門料理店のコックになるか迷いました。
社長に手紙も書きました。

そして働きたいと思った京都のイタリアン アペルトゥーラに
電話をしようとしてました。

しかし24歳でコックの世界に行くのはとても遅く、
自分に出来るかすごく不安で中々電話を掛けられませんでした。

そんな中ドアのポストに手紙が届きました。
社長からでした。
その中味は
「ワタミの中で独立した方がよい。いつでも戻って来なさい。」
と言うものでした。

何故かその時僕は
「絶対戻らない。専門料理を勉強しイタリアンを開く」
と強く思い、その勢いで電話ができ、見事3年間働く事ができました。



30歳でお店を開くと言う夢と同時に、
お店を開いたら、渡邊社長に食べに来てもらい、お店を見てもらうと言う夢も同時に持ちました。

2年前倒しでお店を開くことができ、
お店も何とか守り、3年半が経ちました。



半年ぐらい前に社長のブログに書き込みをしました。
「ワタミのおかげで、お店を開くことができました。
是非社長にそのお店を見てもらいたいです。」



渡邊美樹社長は会長になり益々忙しくなっているようです。
テレビにもよく出てきます。
政府の教育再生委員にもなり、
またカンボジアに学校を100校作り、
東京の学校の理事長になり、
大阪の病院の理事長になり、
介護ビジネスでどんどん規模を大きくし、
有機農業を自社で大きくし、海外にも農場を持とうとし、
もちろん外食でも大きくなり。




そんな忙しい会長が今日ランチに来てくれました。
手紙をくれたから来たと言ってくれました。


僕の1つの夢が叶いました。
感動です。益々憧れが増しました。

僕の思考の中にいつも渡邊さんがいます。
こんな時渡邊美樹ならどうするかと考えます。

渡邊さんが出した本も何度も何度も読んでいます。
出来るだけ近づきたいといつも思っています。

今日から一層努力します。
そしてお店も自分ももっと成長してもう一度お会いしたいです。









201001132245387441.jpg会長はとても背が大きかったです。

直接お会いすることはその空気感も伝わり

本では得られない色々な感情が沸いてきました。

こんな方になりたいと強く思いました。

左の眼鏡はだいぶ緊張しています。

ちなみに僕が女性だったら惚れてます。








 
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