テレビに登場してから、ブログのアクセス数が有難いことに増えています。

 

かれこれ12年ぐらい、あーでもない、こーでもないと書いているブログです。

 

気に入ってくれた方は、過去までさかのぼって見てくれたりするようで。

 

 

あんまり、メニューがどうかとか、お店の情報の発信と言うよりも

僕の事を知って頂きたく書いているブログです。

 

 

最近になってみてくれた方が増えているので、改めてご紹介していきます。

 

 

 

 

僕は28歳でこのお店をオープンしました。

 

きっかけは母の死です。

 

24歳の時、余命3カ月と宣告された母とずっと時間を共にしました。

 

病院には何度も入退院の繰り返し。

体調がよくなっては戻り、また悪くなり入院して。

 

オシャレな母で、入院しているのに常にお化粧はしていました。

昔から、土井君のお母さんは綺麗だねと言われ、自慢の母でした。

お弁当もカラフル。自慢のお弁当でした。

 

一人っ子なので、特に母とは仲が良かったと思います。

 

 

母が亡くなる事も想像できなかったし、老いることも想像できませんでした。

52歳で亡くなったので、僕の中では老いることなく、今でも綺麗な母のままです。

 

 

 

 

食道がんで物が徐々に食べれなくなる病気でした。

 

真夜中の病室なのか、二人でパンケーキとコーヒーを飲んだ時

母が漏らした言葉が、

 

 

「こんな時間が一番幸せ」

 

 

 

そこで僕は飲食での独立を決意しました。

人がその空間にいるだけで幸せと感じるレストランを作ろう。と

 

僕のレストランのコンセプトは

「人生最後の日に選んでもらえるレストラン」

です。

 

 

それから半年生きてくれたお母さんは、

僕の目の前で、いつもの態勢で、僕の方を見ながら、

息を引き取りました。

 

 

たくさんの荷物をまとめ、僕は一人、車で病院から実家まで帰りました。

助手席は空けたままでした。

 

 

不思議と涙は出ませんでした。

何故かはわかりませんが、一人の気はしなかったのかなと思います。

 

 

それから料理経験全くない中で、4年で独立できました。

そして12年続きました。

 

 

最初はだいぶピンチの連続でした。

今でもピンチはやってきます。

 

けれど不思議な事に、ギリギリのところで、乗り越えられました。

 

 

ある方に言われました。

あなたの後ろにはお母さんがずっとついていると。

あなたがどんな決断をしても、お母さんはあなたをずっと応援していると。

 

 

毎朝、お母さんの写真に手を合わせます。

いま生きていたら、どんな会話をしたんだろう。

お店にはどれくらい来てくれたんだろう

きっと大量の野菜もおくってくれたんだろう

 

と思います。

 

もう声も忘れてしまいましたが、

きっとギリギリのところで乗り越えてこれたのは母のおかげかなと。

 

 

 

「楽しい人生だったよ。ありがとう」

 

と言えるよう、日々精進したいと思っています。

 

 

独立を決意したきっかけのお話でした。

 

こんなお店です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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