備忘録

2016.09.07
そこで最終試験で、原稿用紙10枚の作文を書かされる事になりました
夢について。その時は社長になりたいぐらいで具体的な夢はありませんでした。
今までを振り返り自分は何をしている時が楽しかったのか、あれこれ考えました。

ホテルマンになりたかったなと考え、けど何でホテルマンだったのかなと考え、
そういえば、ディズニーランド好きだったよなと思い出し、
ディズニーもホテルも楽しい場所だな、
よしディズニーを作ろうと決めました。
けど待てよ、お金はメッチャいるだろう、流石に無理じゃない?

と思いながらワタミに入社しました。
その時は飲食が人を楽しい気持ちにさせる場所とはきずいていませんでした。


ワタミの一年キッチン、ホール、副店長をやりました。
その時もしんどさだけで飲食の楽しさにはきずいていませんでした。
はっきりわかってない内に母が余命3ヶ月を宣告されました。
会社あっさりやめました。

母と時間を共に過ごす内に、段々きずいてきました。
食べれることの楽しさ、大切な人とのそんな時間は
とても幸せ。病室の中でさえ楽しいんだから、外に出たらもっと楽しい。

ひょっとしたら飲食はディズニーぐらい人を幸せにできるんじゃないか、
しかもディズニーよりお金かかりそうもないし。

よし、飲食を通じて人が幸せを感じる空間を作ろう!!!

ここがポイント。

僕は料理をしたかった訳ではなく、飲食を通じてディズニーみたいな空間がつくりたかった。
その1つの要因として料理がある。

だから美味しいものを作る料理人が必要だ

その時、ホテルで充分手強いコック達を見てきたので、
あいつら思い通りに動かすには、自分も料理を知らなければなめられる。

よしまずは自分が料理人なり、なめられない知識、技術を身に付けよう。

24歳で母が亡くなり、30歳でレストランを開くと言う夢をやっと見つけました。
母は死をもって、教えてくれました。最後の教育です。

24歳。夢の空間、実現のため、
料理人になる。普通18歳から飛び込む場所に何の経験もない24歳が飛び込む。

全ては母との幸せだった時間を、提供できる場所を作るため。


眠くなったので、続く。



時折時が大きくなっているのは意図はありません。
勝手になっています。気にしないでください。



 
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