備忘録

2016.09.05
これから書く内容は誰かに見てもらいたいというのではなく、
ふと、自分の生い立ちを考えて、忘れない内に書いておこうと言う魂胆のブログです。

自分がレストランを志した小さい時からの心の経緯。

富士宮では父、母3人で暮らし、隣にはおじいちゃん、おばあちゃんが住み
家の北側にはおじいちゃんの兄弟たちが3世帯住む大きな農家の土井ファミリーでした。
地元の友達には土井財閥といわれていました。


母が旅行が好きで年2回はお泊りの旅行に行き、
毎週休みの日は車でどこかに遊びに行っていました。

富士宮は東に走れば、伊豆、箱根、横浜、東京が近くにあります。
北に走れば、山梨、長野と言う観光スポットがありました。

だから遊びに行くスポットが沢山あったので、沢山連れて行ってもらいました。
そう言うのが好きな母でした。大概、母のお姉さんファミリーと遊びに行っていました。

毎回、旅行のかなり前から楽しみでカウントダウンしてました。
前日は楽しみすぎて眠れませんでした。
その時はユーフォーキャッチャーが流行っていて、そればっかり家族でしていました。

中学に入りドラマのホテルが放映され、
それまでの経験からホテルマンになりたいと思いました。

それには小学校のとき訪れた長野、白樺湖池の平ホテルのホテルマンが
強く影響しています。その方はドアマンだったのですがとても丁寧で、親切で、
子供ながら感動してました。人が楽しい気分の時に、人を更に楽しませる事って
素敵だなとその時思いました。

その気持ちは大学入学まで続き、推薦でたまたま受かった京都産業大学に入り、
初めてのバイトをホテルで始めました。

そこで少し誤算。
宴会のバイトで入ったのですが、ホテルと言っても宴会と宿泊は全く違うもので、
宴会は心のない作業の仕事が多かったです。

その違いは後の大阪ヒルトンで少し宿泊の仕事に携わった時にわかる事になります。


その時はそれがホテルだと思い、こんなんじゃない、人をもっと楽しませるのが
ホテルだと思ったのにと。
しかし同じアルバイトスタッフはいい方だったので大学時代全てを
そこでアルバイトしました。

ただその時分かったのは人から指図されるのが好きではないという、身勝手な自分の気持ち。
自分だっらと言う気持ちが常に芽生えるのに、言えない。

だったら自分で自分の理想をやりたい。と言う気持ち。

その時にたまたま起業を目指している人に出会い、社長になったら指図されないと
思うようになりました。


それから社長になるためにはと言う、就職先を探し出しワタミの渡邊社長に出会います。
この人の元で働きたいと思い、面接を受け始めます。
まだ社長面接まで行っていない手前の面接でたまたま社長がいたらしく、
ガツガツ入ってきて、俺が面接するはと、かなりワンマンなかんじで登場しました。


時間が来たので続く。






 
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